『経験と一緒に灯される竹あかり』

シルビア・ササオカ / 平野恭子
ブラジル サムライ

 前回、2016年に開催されたオリンピックはブラジルのリオデジャネイロだった。ブラジルは日本と地球の反対側に位置する国。距離的には最も離れた国であるが、1908年からはじまった移民政策により世界最大数の日本人移民が暮らすなど、非常に日本との関係が深い国でもある。 そのブラジルで2020年2月、初めて竹あかりのイベントが開催された。主催は国際交流基金サンパウロ。サンパウロ州バウルーというまちに「ちかけん」の三城賢士さんが赴き、現地の大学(サンパウロ州立大学)や周辺住民(バウルー市民)およびアセンタメントと呼ばれる農地改革集落の住人たちを対象にワークショップを開催。参加者たち全員による共同制作で竹あかりが点灯された。「Festival de Lanterna de Bambu」と題されたこのイベント。中核を担ったのがシルビア・ササオカさんと平野恭子さんだ。

 シルビアさんはブラジル各地をフィールドとしたソーシャルデザイナー。これまでに先住民の地域開発プロジェクトや貧民街のコミュニティ開発、博物館での民芸品ディレクションなどに尽力してきた。現在はブラジルにおける竹文化を研究中。彼女の提言でバウルーでの竹あかりは現実化した。 平野さんはマーケティングリサーチ 会社や国連機関などで働いた後、在サンパウロ総領事館に勤務。日本政府の戦略的対外発信拠点「ジャパン・ハウス サンパウロ」の立ち上げに関与した。オープニングの展示テーマは「竹」。日本文化に遍在する竹文化を広くブラジルに紹介する機会となった。退職後、現在はフリーランスの日本文化コンサルタントおよび広報・イベントコンサルタントとして東京とサンパウロの2拠点生活を行っている。

 シルビアさんが初めて竹あかりを見たのはインターネット上の動画だった。その際、いろんな人たちが共同作業を通じて美しいあかりをつくる様子に、「竹という素材の強みが最大限に活かされている」と感じた。共同体に必要な「協働する」という意識を人々が獲得するために、竹が人間に与えたものが竹あかりではないか、とさえ思ったという。竹あかりの制作過程と美しいあかりは「社会を動かす力」の発動を人々に促すと直感したのだった。実際にバウルーにおいて竹あかり制作と点灯を経験した後、その直感は正しかったと確信。ブラジルに竹あかりや竹灯籠の伝統はないものの、みんなで火を灯すという経験は神聖で、人々に美しい印象を残した。竹や火の持つ神聖性や共同体の根底に必要な「倫理的」な側面を実感する経験だったとシルビアさんは語る。

 平野さんは竹あかりの「言葉で言い表せない美しさ」に感銘を受けたと語る。共同作業を通して点灯する竹あかりには「経験と一緒にあかりが灯っている」と感じたそうだ。竹あかりの制作を通じて情報化社会で見過ごされがちな“経験”や“体感”の重要性を痛感した。平野さんは「みんなの想火」のことを知り「是非、ブラジルでも竹あかりを灯して参加したい」と思ったという。ブラジルで開催されたオリンピックも困難の連続だったが、結果として素晴らしい祭典となった。そのことはブラジル人にとって自国を誇りに思い、自信になる経験だった。ブラジルからオリンピックのバトンのように、竹あかりを通して「困難を乗り越えて良いものをつくっていく」というメッセージを伝えたいと感じた。「竹あかりは世界中で『今ほんとうに求められているもの』をシェア(共有)できるものだと思います。それは時間を、空間を、経験をシェアすること。そして美しいものをシェアすることです。シェアにより互いの文化や背景へのリスペクトが生まれます。日本とブラジルには長い歴史の中に対立もありましたが、今ではブラジル国内において日本への敬意は確立しています。それは日本人移民の頑張りはもちろんですが同時にその努力を支えたブラジルの社会があったから。竹あかりの『自分たちのまちは、自分たちで灯す』という哲学はコミュニティ構築の前提となる考え方です。ブラジルで竹あかりが灯されることによって、ブラジル国内にも以前からあった『良さ』を思い出すきっかけになってほしい。そういったことが可能な竹あかりは、ロマンチックなツールだと感じています」

 現在、ブラジルは一日3,000人もの人々が亡くなるほど、世界でも特にコロナ禍が熾烈な国となってしまっている。元々、ブラジルという国においては人々が集まり、ハグをし、場を共有することがとても大切な精神的意味を持つが、そのことがウィルスによってすべて禁止されてしまった状況にある。ブラジルの公用語ポルトガル語で光を意味する「Luz(ルース)」には、希望といった意味も持つ。 二人は日本中、世界各地で同時にあかりを灯し、つながることで、例え一時であっても「希望」を灯すことができたら、と願う。同時にこの凄惨なコロナ禍においてブラジル中で竹あかりが知られるきっかけとなり、その優しい光が「蛍の光のように」各地で灯されることを祈っている。