『祈りと鎮魂の竹あかり』

三井紀代子
KIBOTCHA (貴凛庁株式会社)

代表取締役

 KIBOTCHA(キボッチャ)。耳慣れない響きだがこれは「希望(きぼう)」「防災(ぼうさい)」「未来(フューチャー)」を合わせた造語で、宮城県東松島市野蒜(のびる)にある施設の名称だ。「KIBOTCHA」は「旧野蒜小学校」を母体としている。野蒜小学校は東日本大震災時、海からほど近い立地のため津波により1階部分が浸水。体育館で亡くなった方もおり、また、体育館が遺体安置所として使用されたことからも地域住民にとっては悲しみが強く残る場となった。震災後、新たに内陸部に建設された高台に住民の多くが移転、野蒜小学校は宮戸小学校との統合のため2016年に閉校した。その後、2018年に防災体験型宿泊施設「KIBOTCHA」として生まれ変わったのだ。 大規模改装を経た「KIBOTCHA」は小学校とは思えないほど立派な大浴場を備え、また、味に定評のある食堂もある宿泊施設となっている。だが一番の特色は防災を体験的に学ぶことができる点だ。来館者は野蒜地区や旧野蒜小学校での津波被害について展示を通して文字や写真、映像資料で学ぶだけでなく、防災訓練を遊びながら体験できる室内遊具が館内に設置されている。また、宿泊者には防災訓練が抜き打ちで行われるなど、「震災の伝承を風化させない」ことと「防災」を強く意識した施設となっている。

 「KIBOTCHA」の代表を務めるのが三井紀代子さんだ。三井さんは18歳で航空自衛隊へ入隊し、5年間自衛官として勤務した経験を持つ。23歳で起業、以来、携帯電話販売代理店経営やモバイル広告事業を展開してきた。当時は1,000人もの従業員を雇い、何百億という売上を上げていたという。 だが2011年に東日本大震災が起こってしまう。三井さんは「自分も何かしなきゃいけない」という強い思いで自衛隊OBと共に復興支援に尽力。インフラ整備などのハード面の復興は次第に目処が立ってきた。だが、石巻の避難所に関わる中で「子どもたちに何かできることはないだろうか」と思うようになってきたという。そこから防災体験型宿泊施設の着想を得、私費を投じ、自衛隊OBらと共に「KIBOTCHA」を開館させるに至ったのだった。 当初、家族と暮らす東京と宮城の往復生活だったが、いざ開館してみると地域住民たちの悲しみの深さもあり、なかなか理解が得られないことも多かった。そのため「もっと地域の人たちの声を聞こう」と家族を東京に残して単身、東松島市へ移住。住民票も移した。以来、「KIBOTCHA」に暮らしながら運営するようになった。身を粉にして野蒜地区の人たちのために働く三井さんの姿にだんだんと住民との距離も縮まっていった。食堂は人気となり、大浴場の利用者も増えるなど、住民たちの施設利用も活発になった。また、震災後途絶えていた「鳴瀬かき祭り」を復活させるなど、多くの人が集う場になっていったという。

 竹あかりとの出会いは、東松島市で盛んな牡蠣養殖がきっかけだった。牡蠣養殖には「牡蠣筏」として竹が大量に使用される。だが使用済みの竹は廃棄されていたため、この竹を使って観光資源にできないかと考えていたときに、広島県のサムライである「舞書家Chad.」こと佐渡仁美さんとの出会いがあった。彼女により竹あかりの存在を知った三井さんは、竹あかりは「祈りと鎮魂」を兼ね備え、「まちを元気にする」存在だと直感した。そこで2020年の「みんなの想火」においてサムライに立候補。同年7月23日に宮城県北部5地域で竹あかりを灯したのだった。 三井さんは竹あかり点灯に先んじて、世界的サンドアーティストである保坂俊彦氏に砂像の制作を依頼した。場所は多くの悲しみの場となった旧野蒜小学校の体育館跡地だった。除幕式の日、住民の方が涙を流しながら作品に手を合わせる姿を見たときに「心を寄せる場をつくることができた」と感じたと言う。人は太古より巨木や巨石など神聖性を感じるものに手を合わせ拝んできた。拝む際には「対象」となるものが必要となる。震災後、悲しみの象徴とも言える場だった体育館跡地に砂像ができたことで心を寄せ、鎮魂の祈りを捧げることができるようになったのだった。 また、2020年10月に「KIBOTCHA」で開催された「なないろの芸術祭」は全国の竹あかり作家が集う一大祭典となった。ここで初めて砂像と竹あかりのコラボレーションが実現。作品の前にこれによって昼の心を寄せる場としての砂像と、夜に心を寄せる場としての竹あかりが生まれたのだった。作品の前で執り行われた鎮魂の式典を見ながら三井さんは、「竹あかりが寂しい場を照らしてくれたことに感激した」という。

 震災10年目を迎えた2021年。3月11日の震災慰霊祭には前年の「みんなの想火」でつながりを得た全国の仲間たちから竹あかりが届けられ、鎮魂の場に備えられた。 三井さんは次のように語る。「震災から10年の節目を迎える中で先日(2月と3月)も大きな地震があり、被災者の方々は大きな不安に襲わています。だけれど、竹あかりは人々の心を照らして希望を届けてくれます。人々をワクワクさせ、魂を揺さぶることができる、そんな存在です。竹あかりによって共感の輪が生まれることを感じます。その様子を見ていると自分自身も頑張れる気がするんです。」 三井さんは2021年、自身の豊富な経験を活かして「みんなの想火」全体の活動資金の運営や宮城県のサムライ活動のサポートを行っている。竹あかりを通して得た仲間たちと震災を風化させないため、また、安心して暮らすことのできる真の平和を実現するため日々邁進している。